自分のプロフィールの一言目に「FIRE民」と書いていたことに違和感があったので、それを言語化してみた。
◆「FIRE民という言葉になんで違和感があったの?」
FIREという言葉は、英語で
【Financial Independence, Retire Early】
日本語に訳すと「経済的自立 早期リタイア」という意味。
プロフィールにFIRE民と書いてあるということは、「経済的自立して早期リタイアしている人」と書いているのと同義である。そう考えると猛烈にダサいことだと思ってきた。
自分という人間を表す一言目にそれをわざわざ書いてあるということは、「経済的自立をして早期リタイア」している以上に伝えたいことがない人だと思えてしまう。
自分のことをFIRE民と書いてしまうと、いつまで経っても暇で退屈な日常から抜け出せないような気がしたので、その言葉は消しておいた。
「経済的自立 早期リタイア」という意味にはそれ以上でもそれ以下でもない。FIRE民と書くことでなんか英語が並んでカッコ良さそうだったというのはある。中二病を発症するのと同じように、おそらくFIREした人は誰でも通る道なのかもしれない。
最近は、「FIRE生活での暇や退屈」という課題に向き合っているがまだまだ解決はできていない。今回の件でFIRE生活が退屈なのではなく、自分という人間が退屈なのだと思った。
◆思考という娯楽
習慣で日記を書くことで、自分の考えを可視化していたが、暇や退屈を解消するために思考を丁寧に観察するようになった。
実際に自分の考えを書いた後も、書いたことをじっくり読んだり、さらに考えたり。そうやって考えるのは楽しいと感じた。
ちなみに今回の記事で書いていたFIRE民という言葉に対する違和感は、日記で書いていたから気づくことができた。
めちゃくちゃ恥ずかしいが、以下に日記で書いていたことをそのまま引用した。
FIREというフレーズに特別感を持ちたい心理がある。FIREしててスゴいと思われたいし、特別な人だと思われたい。おそらくこの呪縛がある。肩書きにとらわれているかも。労働せずに生きれるというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。それ以上に特別感を持たせたいというのがあった。FIREが退屈なのではなく、自分が退屈な人間なんだね。
引用:日記
自分の思考を丁寧に観察して、さらに考えることはとても楽しいので、今後も続けて、暇や退屈を解消していきたい。
以上。